マザー・テレサが亡くなられて10年になるそうだ。
この頃お金のことを考えることが多くなって、
時々マザー・テレサの話題に惹きつけられるようになった。
なぜなら、マザー・テレサこそ清貧=善の典型的な生き方を貫いた人だからだ。
ぼくら一般人がマザーのような清貧を生きようとすると、たちどころに葛藤に陥る。
世の中自体がそんな生き方を許さないからだ。
もっと競争しろ!そんな優しい生き方をしていると成功できないぞ!
周囲からそんな叱咤が聞こえてくるような気さえしてしまう。
これはぼくがクリスチャンではないからだろうか?
いやそんなことはあるまい。
世界の人口65億人のうち、カソリックは10億8000万人 全キリスト教徒を合わせると21億人もいる。世界人口の実に3分の1を占める。
特に、先進国の白人はほとんどがキリスト教徒である。
で、世界を見てみよう。未だに世界は貪欲と憎しみと貧困の渦の中にある。
これは、何を意味しているのか?
世界の3分の1のキリスト者達もまた現実の生活の中では、キリストの教えをほとんど生きていないことを意味していないだろうか?
特にアメリカ東部のエスタブリッシュメントは、敬虔なキリスト教徒が多いと聞く。日曜日だけは敬虔なキリスト教徒。だが、月曜日から金曜日までは一切のセンチメンタリズムを排した冷徹なビジネス戦士と化す。
宗教とは、と時々考えるのだが、人間の善性・愛・霊性を逆に宗教と言う檻の中に閉じ込めてしまう役割をしてしまっているのではなかろうか。皮肉なことだが・・・。
特に、人生の大きな比重を占めるお金という問題に、霊性が関わることはほとんどない。既に宗教が霊性を独占してしまっているからだ。
マザー・テレサはこう言っている「貧困を作り出したのは神ではありません。私たちこそその張本人なのです。」
証券取引所も為替相場の世界も、あらゆるビジネスの世界も一切は人間が作った世界である。だから、人間自身の手によって作り変えることができる。愛に満ちた世界に作り変えることもできる。
宗教家が時に貶める経済という世界が愛や霊性の受け皿であっても実はおかしくはない。人間自身の手によってそう作り変えることも出来るのだ。
もし、そういうことができたなら、それは一人の偉人を聖者に祭り上げて礼拝すること以上に霊的な出来事であるに違いない。
それは、人類全体にとっての大きな奇跡であるに違いない。
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